ドラマ『トンイ』の中で、トンイやその家族が巻き込まれる宮廷の権力闘争に西人派(ソインパ)、南人派(ナミンパ)という派閥の名前が出てきます。一体それらの派閥はどんなものなのでしょうか?
「西人」の言葉の由来は、西人派のリーダーが漢陽(現在のソウル)の西側に住んでいたので西人(ソイン)と呼ばれたと言います。このことから、「南人(ナミン)」はソウルの南側に住んでいたことが名前の由来と推測されます。
朝鮮王朝の派閥抗争の歴史…勲旧派と士林派(サリムパ)
西人派、南人派を語るには、まず朝鮮王朝の派閥抗争の始まりに触れなければなりません。
派閥抗争は創始者の「太祖李成桂」の時代から既に始まっていました。建国の功臣や王族・外戚達の後ろ盾で勢力をつけた最初の派閥が勲旧派です。その後、第9代国王*成宗(ソンジョン)[在位1469-1494]の頃、士林派が対抗勢力として登場します。士林派は朱子学を修め、朱子学をベースにした文治政治を目指した新進の科挙官僚集団でした。(*成宗は、ドラマ『チャングムの誓い』に登場する燕山君【ヨンサングン】、中宗【チュンジョン】の父親です。)
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西人(ソイン)派の登場
さて、第14代国王宣祖(ソンジョ)[在位1567-1608]の時代になると士林派は内部抗争により西人派と東人派に分裂します。
南人派(ナミンパ)の登場
後に東人派は内部抗争により南人派(ナミンパ)と北人派へとさらに分裂していきます。
老論派(ノロンパ)と少論派(ソロンパ)の登場
時代は下り第19代国王*粛宗(スクチョン)[1674-1720]の時代になると西人派は老論派(ノロンパ)と少論派(ソロンパ)へ分裂していきます。
*粛宗はドラマ『トンイ』に登場します。トンイ、チャン・ヒビンの夫で、第21代国王英祖(ヨンジョ)の父、イ・サンの曽祖父(ひいおじいさん)にあたる人物です。
さて、いよいよ『トンイ』に登場する西人派と南人派のトンイとの関わりについてお話しましょう!
『トンイ』に登場する西人(ソイン)・南人(ナミン)とは(2)続きはこちらで
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