トンイの墓にはいくつかの謎が隠されているとの噂が語られることがあります…。
トンイの墓は王の生母としては遠い場所にあり他の王族たちとは隔離されている、粛宗と一緒に埋葬されていない、ライバルのチャン禧嬪の墓は粛宗が眠る陵内にあるのに何故…等などです。
今回は、なぜそのような噂が語られるのか、すこし考察をしてみたいと思います。
トンイが眠る昭寧園(ソリョンウォン)とは
トンイはソウルの北、京畿道 坡州(パジュ)にある昭寧園(ソリョンウォン)に埋葬されています。
ドラマ『トンイ』の最終回で、成人したヨニン君、第21代国王・英祖(ヨンジョ)が、叔父と呼ぶチャ・チョンスと一緒に亡き母・トンイを忍ぶシーンで有名な場所ですネ。
ところが、トンイが眠る昭寧園(ソリョンウォン)は朝鮮王族が眠る陵墓からはちょっと離れた場所にあるのです。(ソウル中心部から20kmほど離れた坡州市 広灘面 霊場里 267に位置)。
多くの王族の墓がソウルの東側や西側に位置しますが、昭寧園は北朝鮮との国境に近い北側に位置しているのにです。
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ちなみに坡州は、京畿道北西部に位置する市で、板門店のある北朝鮮との軍事境界線(38度線)を隔てた韓国の北端にあり市域に非武装地帯がある唯一の市でもあります。
トンイの夫であった粛宗(スクチョン)は、ソウルの郊外、西側へ約9㎞に位置する西五陵(ソオルン)に、仁顯王后(イニョンワンフ)とともに埋葬されています。
では、なぜ「トンイ」は英祖王の母親であったにも関わらず、「差別(?)を受け、北朝鮮との国境に近い辺鄙(へんぴ)な場所に埋葬されている」等の「トンイの墓の謎」が語られるのでしょうか?
朝鮮王族の墓の基礎知識
最初に少し基礎知識を覚えておきましょう。
朝鮮王族の墓は、呼び方が身分によって別れています。
王と王妃の墓を「陵(ルン)」、王世子(ワンセジャ)と王世子嬪(ワンセジャビン)や王の親の墓を「園(ウォン)」、そして、その他の王族の墓は一般人と同じく「墓(ミョ)」と呼びます。
ですから、普通の王の側室の墓は、そのまま「墓」となるわけです。
本来、側室の墓はそのまま「墓」と呼ばれますが、トンイの墓の場合は「王の親(英祖の母)」である為、「園」と呼ばれます。
(当初は、ヨニングンが英祖として即位していなかった為、「墓」としての位置付けでしたが、英祖が王になってから、「園」に格上げされました。)
トンイは、王の母として「昭寧園(ソリョンウォン)」というところに埋葬されており、身分相応の扱いを受けているということです。
トンイの墓は格別遠く、へき地でもない
よく調べていくと次のことがわかってきました。
①朝鮮朝鮮王陵(チョソンワンヌン)は、ソウル(当時の漢陽)から40㎞以内と定められており、トンイの墓はその範囲内にある。
②坡州は、もともと朝鮮王朝時代の首都・漢陽防衛上の交通の要衝とされた場所で、当時は決して僻地ではなかった。
現在は北朝鮮との軍事境界線を隔てた非武装地帯があるということで、辺鄙な場所との先入観がでたのでは?
③トンイの墓は、トンイが側室でありながら王の母であったことからか、その敷地は広大だと言われています。
残念ながら公式のデータを見つけることが出来なかったので具体的な数値を挙げることができませんが…。
息子の英祖が即位後にトンイの墓を悲願であった「園」に昇格させ、本腰を入れて整備したとの話もあるので立派なお墓になっているのでしょうか。
以上の理由から、トンイの墓が「特別に不当な扱いを受けていたということは言えないのでは」と考えられます。
※坡州(パジュ)市の公式サイトには、トンイの墓が韓国の史跡第358号に指定されているにも関わらず、何の紹介もされておらず、また立入禁止の非公開(軍事上の理由か…)となっていることが謎と言えば謎でしょうか?
(画像掲載元:lindachen0911.pixnet.net)
参考情報
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