李氏朝鮮第20代国王、景宗は賜薬(罰として毒を与えられ自殺する刑)によって非業を遂げるチャン・ヒビンの息子で、3歳の時に世子(セジャ、世継ぎ)に任命されました。
父王、粛宗(スクチョン)の長男、トンイの息子、延礽君(ヨニングン)の義理の兄にあたる人物です。
ドラマ『トンイ』の中では、聡明で思いやりのある人柄として描かれていますが、実際はどんな人だったのでしょうか?
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次期国王の座を約束された期待の星
粛宗と寵愛する側室、張玉貞(チャン・オクチョン、後のチャン禧嬪)との間に生まれた景宗(李昀)は、長男として粛宗に愛され、わずか3歳の時に世継ぎである世子(セジャ)に擁立されたと伝えられています。
粛宗待望の王子だったわけですネ。
幼い時から聡明だったことで知られ、書の才能も高かったということで、帝王学を授けられ順調に成長していました。
母、チャン禧嬪とトンイの争いに巻き込まれる
さて、この順風満帆に見えた世子の人生ですが、トンイが粛宗の寵愛を受けて側室として王宮入りすることで行く手に暗雲が立ち込めるようになります。
トンイとチャン禧嬪の骨肉の争い、そして粛宗の介入の板挟みに翻弄される人生を送り始めるのです。
正室であった仁顕王妃(イニョンワンフ)を宮廷から追放させることに成功したチャン禧嬪は、王妃の座を手中にし権力の絶頂にあり世子の座も安泰に見えました。
しかし、トンイの活躍で仁顕王妃を追放した陰謀を暴かれたチャン王妃は降格され、再び禧嬪となります。
このころから、粛宗は世子を冷遇するようになり、その影響で世子は鬱病(うつ病)を患うことになったと言われています。
延礽君(ヨニングン)の登場と世子の苦悩
ドラマの中で紹介されている通り、トンイの子で弟にあたる「延礽君(ヨニングン)」と心を通わせ優しい兄を演じる世子ですが、ある病に悩んでいました。
ドラマでは、ヨニン君の協力を得て内医院(ネイウォン、王と王族の薬を調剤する官庁)に忍び込んだ世子が、自分が『痿疾(いしつ、ウィジル)』という病に侵されていることを知ります。
この『痿疾』という病は、ドラマでは「子を成すことのできない病」と説明されていますが、一般的には「手足などがしびれて感覚を失い、動作が自由に ならない病気」と解釈されており、そのままでは「子が作れない病気」とはならないようです。(このあたりの解釈はネット上で詳しく説明しているサイトがありますので、そちらで調べてみるとよいと思います。…「痿疾」の検索結果 )
さて、本題に戻ります。
この病気のことを父、粛宗に知られたころから父王の冷遇を受けることになったと伝えられています。
粛宗は、世継ぎを設けることのできない世子の跡は、延礽君に継がせるようにと命じていたということです。
そして、母、チャン禧嬪の死を境に、あれほど仲の良かった延礽君をも遠ざけるようになってしまいます。
短い王位、在位期間
粛宗の崩御に伴い、1720年に第20代国王として即位しますが、1724年にはわずか3年で病没してしまいます。
即位1年後の、1721年には延礽君が次の王位継承者として王世弟(ワンセジェ)に立てられ、景宗亡き後の政治運営の準備も事前に用意されていたことから、暗殺説も唱えられているようですが、真実は「神のみぞ知る」といったところでしょうか…。
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