イニョン王妃(仁顕王后、イニョンワンフ)
イニョン王妃は、李氏朝鮮の第19代国王、粛宗(スクチョン)の正室です。(1667年4月23日 - 1701年8月14日)正式名を、「仁顕王后閔氏(イニョンワンフ・ミンシ」と呼び、宮廷内で政争を繰り広げていた西人(ソイン)派と南人(ナミン)派のうち、政治を牛耳っていた西人派をバックとする勢力の象徴的存在でした。
(*西人派と南人派についての詳細はこちら)
実は、イニョン王妃は粛宗の二番目の正室です。即位(1681年)の前年になくなった先妻、仁敬王后(インギョンワンフ)の後、入内し正妻となりました。粛宗の母で同じく西人派に属する明聖大妃(ミョンソンテビ)の推薦を受けた結果と言われています。
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後に、粛宗の寵愛を受けたチャン・ヒビン(禧嬪張氏)に王子が誕生し、イニョン王妃の存在が邪魔な南人派の陰謀によって廃位に追い込まれる悲劇を味わい、チャン・ヒビンの失脚により王妃に復位(1694年)するも、復位後僅か6年で病によって命を落とす悲運の女性です。(心臓病だったという説もあります)
ドラマの中でのイニョン王妃
ドラマの中では、南人派のチャン・オクチョン(チャン・ヒビン)と激しい女の戦いを演じる女性として登場します。
一方で、物静かだが芯の強い側面を持ち、自分の事を命をかけて守ろうとし、また自分の王妃復位に奔走してくれたトンイに対して、生涯、深い感謝の意を抱いています。
仁顕王妃の復位後に、トンイが宮廷を去ってからもトンイとその息子クムの後ろ盾となり、支え続ける力強い味方です。
しかし、チャン・ヒビンや兄のチャン・ヒジェにより呪詛され王妃復位後わずか6年で、病が悪化し悲運の生涯を閉じることになります。
イニョン王妃の悲劇
粛宗との間に王子が無かった為か、彼女の地位は不安定なものでした。
当時、政権を牛耳っていた西人派の専横を疎(うと)んじた粛宗が、南人派に属するチャン・ヒビン(禧嬪張氏)を寵愛した結果、世子(セジャ、皇太子)が誕生し、子がなかったイニョン王妃の立場が危うくなり、ついに「明聖大妃毒殺」をでっち上げた南人派の陰謀によって、王妃の地位を剥奪され、平民として宮廷を追放される悲運が降りかかります。
宮廷を追われた後は、ドラマでも紹介されるように粗末な家に住み、日々の生活にも困窮するありさまだったようです。
その後、専横を極める南人派の粛正(「甲戌換局(カプスルファングク)」)により西人派が復権し、仁顕は王妃に復位(1694年)。
一方、チャン・ヒビンは、禧嬪=ヒビンに降格されます。
イニョン王妃の最後
仁顕王妃復位後、政治的巻き返しを図る南人派が画策した「仁顕王妃呪殺」で、病に倒れ、ついに命を落とすことになります。
ほぼ時を同じくして、チャン・ヒビンも一年後イニョン王妃を呪い殺したとして、粛宗に毒を賜り最期を遂げるのでした。
ちなみに、仁顕王妃の墓は、京畿道高陽市、龍頭洞の西五陵にあると言われています。(高陽市文化観光)
イニョン王妃役を演じるパク・ハソンのプロフィール
仁顕王妃役を演じる「パク・ハソン」は、1987年10月22日生まれ。
トンイの「イニョン王妃」役を演じるきっかけとなったのが、一般からの推薦がイ・ビョンフン監督の目にとまったからだそうです。
パク・ハソンは2005年のデビュー以来、多くのドラマや映画に出演していますが、その美貌の割には知名度の低い女優さんでした。
『トンイ』出演のきっかけとなったのが、2007年に出演したドラマ『王と私』で、朝鮮第10代王燕山君(ヨンサングン)の実母であった「廃妃尹氏(ユンシ)」を演じた事だったと言います。
ビョンフン監督は、パク・ハソン演じる廃妃尹氏(ユンシ)のイメージをイニョン王妃にかぶらせたのでしょうか・・・?。
パク・ハソン演じるイニョン王妃は「端麗仁顯(ダナイニョン=たおやかな仁顯王妃)」と呼ばれたように、たおやかでありながら凛とした王妃像を作り上げました。
トンイ出演を機に、2010年 MBC演技大賞 女性新人賞を受賞しています。
主なドラマ出演は、2007年の『王と私』、『京城スキャンダル』、最近では2011年『ハイキック3 短足の逆襲』、2013年 『広告の天才イ・テベク』。
参考記事
- パク・ハソンのプロフィール
- 仁顕王后 ~ Wikipedia
- パク・ハソンのプロフィール(Innolife.net)
- パク・ハソンの記事リスト ? Kstyle
- エンタメ情報 STAR DB パク・ハソン
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