イニョン王妃(仁顕王后、イニョンワンフ)
正式名を、「仁顕王后閔氏(イニョンワンフ・ミンシ」と呼び、宮廷内で政争を繰り広げていた西人(ソイン)派と南人(ナミン)派のうち、政治を牛耳っていた西人派をバックとする勢力の象徴的存在でした。
(*西人派と南人派についての詳細はこちら)
実は、イニョン王妃は粛宗の二番目の正室です。即位(1681年)の前年になくなった先妻、仁敬王后(インギョンワンフ)の後、入内し正妻となりました。粛宗の母で同じく西人派に属する明聖大妃(ミョンソンテビ)の推薦を受けた結果と言われています。