医女試験に合格し、修練生となったチャングム。
これから半年の間で50の試験を受け、成績のよい順に配属が決まることになるのです。
不可を3つとると落第となり、医女の資格を得ることが出来ません。
チャングムはさっそく、教授シン・イクピルから不可を一つ与えられてしまいます。
一方、もう一人の教授イ・ヒョヌクは、経典を読み解いたチャングムの聡明さに着目するのでした。
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宮廷に戻り、司憲府(サホンブ)の監察官の任に就いたチョンホ。
同士を集めようと、理想を同じくしたかつての仲間を訪ね歩きます。
また、トック夫妻は以前のように宮中に酒を納めることが出来るようになりました。
シン教授の授業で医学の知識の豊富さを披露するチャングム。
それでもシン教授のチャングムへの厳しい評価は変わりません。
一方のイ教授はチャングムを呼び出し、修練生全員で宴会に出席するよう言い渡すのでした。
しかし、宴会の日はシン教授の実習と重なっていたのです
【医女制度とは】
儒教を国の規範とした朝鮮王朝社会では、男女の自由な接触が禁じられていたため、女性たちの多くは病気になっても、男性医師の診察を拒否していました。
やむを得ず診てもらう場合でも、女性たちは別室にいる医師に手だけを差し出し、さらに、その上には絹の布を置くという念の入れようだったと言います。
そのため、症状を悪化させてしまい、そのまま死亡するケースが後を絶たなかったとも。
この状況を憂えた第3代王・太宗(テジョン)は、1406年、女性たちを診るための医員、医女の育成を始めます。
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